由来

創建のゆらいについて詳かではなく、古来からの久我山村の鎮守さま。 祭神は保食命(うけもちのみこと)。
明治40年に字北原にあった天祖神社を合祀しました。 天祖神社(神明社)の祭神は大日靈貴神 (おおひるめむちのみこと)。 昭和十六年二月(1941)に村杜となりました。

創建のゆらいについて詳かではありませんが、鎌倉時代、時の将軍が「大宮八幡」にいらしたとき近隣のお宮へ百本の松をお配りになりその中に”久我山”という記述が残っております。
ですので、鎌倉時代の前から何らかのお宮があったとおもわれます。

残念ながらお宮は明治のころ、すべて焼失していまい昔の記録がないのが実情です。
かろうじて、舞殿入り口をはいったところにある絵馬とかに昔の久我山をしのばせます。
その絵馬も明治期以降につくられたもののようです。

当時、最新の技術であった”ベニヤ”に写されました。
まことに残念ながら、そのベニヤは経年変化にたえられず、残念な状態になりつつあります。